MERGING:Chick Corea氏を偲んで ー クロード・セリエ CEO



~ Chick Corea 氏を偲んで ~
Merging社 クロード・セリエ CEO が Chick Corea 氏とのレコーディングを振り返りました


2021年2月、Chick Corea 氏 逝去の報に接し心からお悔やみ申し上げます。私はこれまで、そして今でも彼のファンであり、彼は私の好きなミュージシャンのトップ10に入っています。Chick はもういませんが、彼の音楽は永遠に残るでしょう。そして彼の代表的なアルバム "Return to Forever" を聴くと、10代後半の頃に経験したのと同じような深いインパクトと驚きを今でも感じます。

チックに会う素晴らしい機会に恵まれたのは、彼のアルバム「ランデブー・イン・ニューヨーク(Rendezvous In New York)」となるレコーディングセッションに参加した2001年でした。フィリップスは、世界初の16トラックDSDレコーディング技術を使い、3週間にわたる60歳の誕生日のお祝いをSACDリリース用にレコーディングすることを計画していました。2

2001年12月、AESコンベンションの最終日を終えて、16トラックDSDを記録できる最初の Pyramixワークステーション のプロトタイプを荷物に詰め込んでBlue Note Jazz Café のチームに合流したとき、思い出に残るイベントになるとは分かっていましたが、それがこれほど特別なものになるとは想像もしていきませんでした。

私はまず、スイスのオフィスから最新のソフトウェアをダウンロードするのに午後のかなりの時間を費やさなければなりませんでした(当時はまだ高速ブロードバンドのようなものはありませんでした)。それは最初のコンサートのレコーディングの前日でした。言うまでもなく、私たちの機材はラボを出たばかりで、伝説的な Blue Note Jazz Club で最も権威のあるジャズのレジェンドたちとの3週間のライブレコーディングセッションを収録するための準備がまだできていないのではないかと不安になりました。機材の故障に備えてTascam社のバックアップ用ステレオDSDレコーダー8台が山積みになっているのを見て、私は何となくホッとしました。しかしその安堵感は長くは続きませんでした。全ての機器の電源を一つずつ入れようとした時、メインのアナログ フロントエンド(API 1604 アナログ ミキシングコンソール)が突然コンソールの下から煙を出し始めました。何度かトライした後、ブルーノートのバックステージの部屋は煙でいっぱいになり、レコーディングチームのメンバーの姿も見えなくなってしまいました。9.11の惨状に見舞われた街で、AESコンベンションを終えた私がその日の仕事を終えたのは午前4時(コンサートが始まる朝)でした。その後、状況はさらに悪化していました。一番近い交換用のコンソールはカリフォルニアにあり、ニューヨークに到着するまでに24時間以上かかるとのことでした。Chick Corea の「生誕60年 記念レコーディング」の制作が、プロトタイプのPyramix Workstation のせいではなく、アナログコンソールのせいで危機にさらされているとは誰が信じられるでしょうか?


煙が消えた後の安堵
写真左から:Ted White(DSDエンジニア/アシスタント),Clark Germain(レコーディングエンジニア),
Herbert Waltl(オーディオプロデューサー),そして(今より20歳若い)私


午前10時に Petra Smits がホテルの部屋に電話をかけてきて、コンソールを逆さにして少し振ったことでようやく煙の問題を解決できたと教えてくれた時、私はまだあまり眠れていませんでした。大量の煙を発生させたにもかかわらず、素晴らしい状態で動作する API の設計と品質と回復力が証明されて何と安堵したことでしょう。

その後の数日間は Chick の60歳の誕生日を祝うために、Bobby McFerrin, Roy Haynes, Miroslav Vitous, Gary Burton, Dave Weckl, John Patitucci, Gonzalo Rubalcaba, Avishai Cohen, Michael Brecker, Eddie Gomez など、長年の友人やジャズ界のレジェンド達が毎晩共演し、素晴らしいパフォーマンスを披露してくれました。Pyramix システムは、3週間に渡って行われた9つの異なるラインナップのライブ パフォーマンスで、フリージャズからクラシック弦楽四重奏までの幅広いジャンルのデュオから小さなアンサンブルまで、約60時間に及ぶ素材を完璧に録音しました。

このSACDがリリースされた時、その録音の質の高さは別にして、私はまだあの煙の匂いを嗅いでいたことを覚えています。(もしそのSACDを手にする機会があれば、その日の夜にブルーノートに座っているような気分になることがわかっていただけると思います)



APIコンソール(およびPyramixプロトタイプ16トラックDSDレコーディングシステム)の前で
初期のミックスをモニターしているチックコリアと妻のゲイル



「何かを作るのにピカソやレンブラントである必要はありません。
その楽しさ、創造することの喜びは、芸術の形に関わる何よりもはるかに崇高なものです。」
-- クロード・セリエ,もう一人のCCを追悼して
 



プロデューサーの Herbert Waltl は、彼との思い出を話してくれました


私が Chick Corea と初めて "Rendezvous" プロジェクトのレコーディングについて話し合った時、彼は野心的で並外れたアイデアの全容を説明してくれました:最も偉大な現代ジャズのレジェンド達を集めて、音楽の喜びを祝うという素晴らしいアイデアを持ってきてくれたのです。これが彼の画期的なプロジェクトの一つになることは、私にもすぐに分かりました。パフォーマー、アレンジャー、コンポーザーとしてのキャリアの中で一貫して国境を越え、境界線を押し広げてきた Chick Corea だけが成し遂げることのできるプロジェクトです。

前向きなアーティストである Chick Corea が、利用可能な最高のテクノロジーを使ってパフォーマンスを録音し、新たな創造の可能性を探ることにすぐに興奮したのは言うまでもありません。幸運なことに フィリップス エレクトロニクスのサポートを得ることができたので、完全にDSDフォーマットでの制作を計画することができました。 しかし、当時のDSD録音システムは8トラックしか録音できませんでした。オーディオ プロデューサーである私にも、5.1chサラウンドのSACDリリースのために演奏を録音することは、この巨大なプロジェクトには理想的ではないということが分かりました。そこで私はクロードに、もっと多くのトラックを録音したい旨を尋ねましたが、開発時間があまりないことも承知していました。クロードは最初「ラボでは実験はしていますが、実際にテストしたことはありません。まだ準備ができていません。また連絡します。」と言ったのですが、しばらくして彼から連絡があり、「やりましょう」と言ってくれました。

クロードと彼のチームは、Chick Corea のようなエネルギッシュで開拓者精神を持っていました。-- 境界線を押し広げ、不可能を可能にする、そんな気概を持ったチームが出会ったのです。

ポストプロダクションはロサンゼルスの mediaHYPERIUM スタジオで行われました。Chick はスタジオの近くのホテルに滞在し、すべてのミキシングセッションに参加しました。5.1サラウンドの分野で、熱心に創造的な探求を行っていました。

関係する全てのチーム間の創造的な相乗効果と Chick の魔法が、アイコニックな "Rendezvous" プロジェクトを生み出しました。

Chick Corea は、最も偉大なジャズミュージシャンの一人としてだけでなく、他の人たちに自分たちの音楽を「可能性」を超えて次のレベルに持っていくように促した人としても、惜しまれることでしょう。



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